hatokobatoのブログ

障害者枠で働くことを目指す精神障害者、女性、既婚、アラフォー。

農園芸店勤務(オープン)を振り返る

飲食店の前は農園芸店に勤務していました。
在職期間は3年5ヶ月。私の職歴の中では一番長く続いた職場でした。長く働けた要因などについても振り返っていきます。

飲食店に転職するぎりぎりまで働いていました。正確に言えば被ってる。仕事をしながら転職活動をして、決まったため農園芸が休みの日に飲食店のシフトを入れていました。

農園芸店の前は無職期間と言うか転職活動期間が長かったです。半年くらいかな?

何となくのクローズで就活していて、なかなか決まらなかった。この間に手当り次第に色んな求人に応募しまくったと思います。

確かハローワークの窓口は障害者担当の方に相談してましたが、何故かオープンで就活するという選択肢は私の中には無くて(汗)
正社員とか高望みしてるわけではないはずなのにパート・アルバイトで落とされまくってた時期です。

その前のアルバイトを辞めた理由が、「大量生産・大量販売ではなくてもっと違うことがしたい」とか何とかそんな感じ。。

とにかく落とされまくってて、ある日、某コーヒーチェーン店か農園芸店かで迷ってた時ふと、「オープンでいってみよう」と思い立ちコーヒーチェーン店に問い合わせ。

夜のシフトを避けて欲しいが応募出来ますかと電話で問い合わせ。何故なのかと尋ねられ、「実はうつ病で…」と話したら「うちではそういう人はちょっと…」との反応。やや落ち込んだ。

※当時はうつ病との診断だった。

次の農園芸店の面接で、最後に何かありますかの時に「実はうつ病でして…」と何気なく伝えてみました。「…言わない方が良かったでしょうか」と聞くと「そんなことない。言ってくれて良かった。病気だからといってあなたが何か変わるわけではない。それ以上でもそれ以下でもない」みたいな言葉を貰いました。初めてかけて貰えた言葉で、よく覚えています。

そんなこんなで農園芸店勤務がスタート。
直属の上司は面接をして下さった50代、女性。この方がほぼ現場を仕切っていた。次にベテラン70代、女性の園芸博士。この2人によって店が成り立っていると言っても過言ではなかった。

あとは配達のおじちゃんとか、パートのお兄ちゃんとか、経理のおばちゃんとか固定メンバーが居て、入れ替わりの激しい職場だったから色んな人と仕事しました。

本店と出雲店があって、途中本店の経理事務みたいな仕事にも行きました。あまり向いてなくて出雲店に戻してもらったけど。

一族経営の割とテキトーな会社で、雇用保険とかも何もかけてくれてなかったし扱いは適当だったけど、何となく私には居心地が良かったのかな??

なるべく無農薬で農業を、という方針で社長や皆さん身体にいいことを日々追求、みたいな感じだった。「はとさ〜ん、うつに効く漢方があるんだよ〜」とか社長によく話しかけてもらえたりして。

仕事内容は水やり、花ガラ摘みなど植物の世話、パソコンでPOPづくり、接客、レジ、小鳥さんのお世話、アロマ教室の準備・片付け、パソコンで荷物の送り状印刷、観葉植物のリース…などなど。

いい感じにバタバタするのが良かったのかな?
ここで私の家族となるセキセイインコのミルクと出会い、アロマテラピーとも出会い、今があるって感じですね。

上司にとって、私はいい部下だったかは分かりませんが私はこの女性の上司の存在は大きかったです。うつ病を受け止めてくれた社風も。

一応花屋でもあったので、母の日とか超忙しかったですね。あと農業の繁忙期は結構頑張って働いてました。

こうして振り返ると、色々雑用系、バタバタ系が向いているのか?!と思ったりして…

良く言えばおおらか、悪く言えばテキトーな社風と人間関係が自分に合っていて長くつづけられたのかな?
あと小鳥の癒やしもあったから??

これもすごく昔なので細かい記憶が曖昧になってます(汗)